2012年 06月 28日
宮崎で経験した多くのことや、多くはないけど大事な仲間たち |
去年の5月に宮崎に上陸した。それは東君と一緒に住むため。そもそもそれまでの私と言えば何をしたいのか全く分からず、写真への情熱はあるけれどそれだけで目標を失っており、山小屋生活に感化されたせいか情報ばかりが氾濫する冷凍都市東京この東京砂漠に少しだけ嫌気がさしており、とにかく生活を変えたかった。宮崎に行ったら放射能の不安もないし、そもそも26なんだから一回くらいは実家から出て生活しないと、と感じて、決心というには大げさな、半ば「ノリ」でこの九州のアマテラス国に降り立ったのだった。
着いてすぐは楽しかった。GWだったし東君とだらだらしたり青島行ったり図書館行ったり。でも東君の仕事が始まると、一気にやることがなくなった。私自身も早く働きたかったけど、こっちは選択肢が少ないし、短期の仕事も車がなければ行けないようなところばかり。とにかくお金が一番不安だった。
最初に面接を受けたのは額縁とか売ってる店だった。面接場所が、店ら少し離れたところにあるスタッフ休憩所があるビルだった。入ってすぐにそこの雰囲気がとても嫌いになった。化粧ポーチを持った制服の女の人が3人並んで歩きながらおしゃべりしていて、なんというか私から一番遠い人種の人たちだった。面接は面接で、「すぐ東京に帰らないなんて、言い切れますか」的な質問ばかりで、なんていうか怖かった。こんなところで働きたくないって思ったけど、街中だし、服や食品よりは興味あるカテゴリの仕事だったから、これを逃したら、あぁ、居酒屋くらいしか働くところないかも。。なんて暗くなりながら帰宅した。そしてやはり落ちた。安心とそれより大きな不安が襲う。速攻でコンビニ行って地域の「求人情報」て雑誌を買った(こっちでは、anやフロムAより独自の冊子の方が情報が多い。今はあるけどこのころは「TOWNWORK」もなかったし)。そこで、東京でも愛用していた大っ好きなお店の求人をみつけた。やっほーーーい!私の心は躍った。ここで働きたい!さっそく応募の電話をした。
電話をして面接の日にちを決め、面接をした。結果は2週間後になるといわれた。待っている間、私の心は暗かった。相変わらず何もやることがない。車がなければどこにも行けない。そのときはチャリもなかった。街中を散策していても、人がいなくて寂しいし、もう完全に異世界に来たような気分であった。話し相手は東君と犬のぬいぐるみだけ。東君の帰りを楽しみに、夕飯を作って待ってる。。ってこれ主婦やん。。
採用の合否の電話が待てど暮らせど来ず、とうとう東君の目の前で不安から大泣きをしてしまい、「ごめんねごめんぬぇ」なんて言いながらやっと泣き止んだときに電話が鳴った。採用の連絡だった。
バイトの初日はいろいろ不安だった。まず天気が悪かった。私の性格が災いしてあまり人とも話せなかった。
ただ、働いけてるだけで満足だったし楽しかった。夏くらいになるとだいぶ慣れたし、休みをとって岡山に行ったり東京に帰ったりした。このときにあばらの骨を折った。
秋になると宮崎の良さがだんだん分かるようになる。まず食事が美味しい。飲み屋とか行っても大体美味しいし安い。そして繁華街はとても栄えてる。人が良い。みんな笑顔だし。ヤンキーも敬語を使える人が多い。誰もせかせかしてないので自分だけせっかちな人間に思えてくる。海が綺麗。日南海岸は素晴らしい。街も広くて綺麗だし。「てげうま国際夜市」なんていう楽しいイベントもあったなぁ。あと志の高い映画館もある。宮崎キネマ館。ここには大分お世話になった。文化を愛する人達もいるのだ。藤原新也のトークショーもあったね。
全く寒くない温暖な冬を越え、春になると、旅行で福岡なんかに行っても宮崎に帰ってくると「やっぱ落ち着くね~」なんて言う始末だった。
映画や展示が観れないのは相変わらず悲しかったけど、そんなことで私が変わる訳でもないし、と思うようになっていた。この考えは良し悪しだとは思う。
姉夫婦や東君のご両親に高千穂や都井岬に連れて行ってもらって、宮崎を満喫できた。そして思った。そろそろ帰らなければ、と。
宮崎に住むのは1年と漠然と決めていた。別れは辛いものだけど、これ以上歳をとる前にやっておきたい事がいっぱいあるのだ。もう言い訳はしないようにしようと思う。バイト先にも辞めると告げ、飛行機もとった。あとは帰るだけだった。
仕事は楽しかった。やりがいがあったし。上司はみんな優しかった。相変わらず店自体が好きだった。そして仲間たちとの別れが寂しかった。だって二度と会えない可能性だってあるのだから。私という人間は少し悲しい人間で、どうしても人間関係が希薄になりがちなのだ。こんな所で変なカミングアウトだけど。ただそんな私にみんなは優しかった。「送別会」という響きにもう恥ずかしくなってモジモジしてる私だったけど、なんかいっぱい人が来てくれた。そもそも最後の仕事の日には泣いたし。よーくみんなの顔見たら、それぞれにめっちゃ思い出あったし、こんなんだったらもっとみんなの写真を撮っとけばよかった私のドアホ!とか思って悲しくなった。
まさか自分が宮崎に住むなんて思ってなかったし、宮崎でこんな好きな人がいっぱいできると思っていなかった。この年齢になっても、友達ってできるんだね。また会いたいと思える人ができてよかった。こっちに帰ってくるのが楽しみ。
2日に帰ります。東京も好きだし宮崎も好き。親善大使になろうかしら。どうかしら?
by Komsms
| 2012-06-28 12:14